台風接近が不安ですが、あす角館に乗り込みます [秋田ウルトラ]
あさって26日の日曜日は秋田内陸100キロマラソンです。どうしても、大会前はばたばたします。仕事を終わらせないと、スタート地点に立てないわけですからね。当たり前のことですが。
秋田は3年連続3回目の出場です。一昨年は10時間20分台、昨年は暑いレースでしたが9時間28分台でサロマを除く100キロではベストでしたから、相性がいい大会だと思っています。
スタートは武家屋敷で知られる角館。42キロ地点に標高580メートルの大覚野峠があり、前半はじわじわ上り、後半は細かいアップダウンを繰り返しながら、ゴールの鷹巣を目指します。
この大会の一番好きなところは、沿道のおばあちゃんと子どもたち。みなさんに再会できるのが楽しみであり、格好が悪いところを見せたくないという意味では気が引き締まります。
ゼッケンは「1395」です。台風が北上して、日曜日は荒れ模様になるかもしれませんが、北行きのワンウェイコースですから、ずっと追い風になると信じて(←そんなわけないだろ)、あす花巻空港から角館に乗り込みます。夕刻から始まる前夜祭で飲むビールが楽しみです。
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盛り沢山のエイドと、日本昔話のような風景を満喫しました…秋田完走記【妻編】 [秋田ウルトラ]
火曜日は出勤前に武庫川河川敷を宝塚市役所まで21.4キロ。秋の暖かな日差しを浴び、1時間58分かけてゆったりペースでした。今月累計では170.2キロ。体重は69.8キロ。
秋田の100キロは番外編として、妻の完走記を掲載します。妻にとっては初めての大会で、6月のサロマと合わせ、シーズンに2レース挑戦するのは初めてのことでした。
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朝5時、まだ暗い中スタートし、角館の武家屋敷通りを駆け抜け、内陸線に沿って北に走っていきます。見渡す限りに稲穂が実った水田を走り続けていくと、山の間からまぶしい朝日がが顔を出しました。夫から聞いていた通りの起伏に富んだコースでしたが、中だるみ癖のある私にとってはかえってメリハリがあってよかったのかも。100キロで一歩も歩かなかったのは今回が初めてでした。
山間の道は景色が素晴らしく、壮大な自然に圧倒されました。ぽつぽつと点在する小さな町ではおばあちゃんたちがほんわかと、のんびりと応援してくれていてなんだかジンとしました。
まさに日本昔話にでてくる風景そのもので、郷愁を感じました。
エイドは「あきたこまち」のおにぎりに、いろんな種類のお漬け物、なめこ汁におはぎにスイカ、マルメロ……、と本当に盛りだくさん!!
前日から突然の体調不良でトイレに5回も駆け込んだり、解熱鎮痛剤を4錠ものんでしまい(ドーピングか)、後半は胃痛との闘いでした。足裏の皮が80キロで突然はがれ、肉体的にはかなり辛いレースとなりましたが、本当に沿道の応援やエイドのみなさん、交通整備のおまわりさんに至るまでみんな暖かくて、全員に大きな声でお礼を言い、ゴールまでずっと笑顔で走ることができました。
(写真はチームサボテンの仲間たちと)
最後まで10キロ75分ぐらいのペースを刻んでいって、12時間28分台でのゴールでした。主人も9時間28分台のゴールで、「おしどり賞」を獲得しました。つい先日、「あきたこまち」の新米が5キロ送られてきましたが、足で稼いだお米を頂くのが楽しみです。
秋田は主人が5年前まで赴任していた思い出の土地でもあるので、レース後は遅い夏休みを合わせてもらい、10月2日まで秘境、秘湯めぐりと登山などをしながら、どっぷりと旅してきました。
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長いトンネルを抜け、鷹巣の風景に胸が詰まる…秋田完走記【完】 [秋田ウルトラ]
80キロ通過は7時間30分48秒(55分39秒)。楽しみにしていた81キロのエイドで名物のマルメロ(洋梨)を頂き、82キロで阿仁川の鉄橋を渡ると、旧合川町の水田地帯に入ります。刈り入れ時を迎えてお忙しい時なのに、エイドには多くの人が携わっていてくれていて、申し訳なくなるほどうれしい。
いまから5年前、秋田に勤務していた時、身近な友人に合川町出身の方がおられ、初めてこの大会の存在を教えてもらいました。まだ走り始めた頃で、なんとかハーフが完走できたころ。とても100キロ走るなんて想像もできませんでしたが、「いつかは走ってみたい」と思ったのを覚えています。
そんなことを思い出しながら黄金色の稲穂のなかを行きます。午後1時前。気温は25度ほどあり、日陰もなく最も暑いところ。上杉、下杉という集落を過ぎ、小高い丘を駆けあがると合川の中心街。90キロ通過は8時間31分12秒(1時間0分24秒)。80~90キロは1時間かかってしまいました。
なんとか、気持ちを引き締めようと、89キロ地点の合川駅前の酒屋さんの自販機で、キリン「一番搾り」を買って、沿道の応援の人たちに冷やかされながら、おいしく頂きました。これが結果的にはよかった。残り10キロ。しっかり走ろうと思えました。だらっとした流れを切り替えようと。
ここからは再びアップダウンを繰り返します。前後にランナーはまったくいなくなり、ひとりの戦い。95キロ過ぎ。大館能代空港を横断する長いトンネルを抜けると、目の前に鷹巣の平野が広がりました。「ここまでやってきた」という嬉しさをかみしめながら、長い坂道を下っていきます。
米代川の橋を渡ると残り2キロ。間もなく商店街に入ります。ここで女子3位のランナーの前に出て、スピードを上げました。商店街は日の丸の旗を振っているおばちゃん、おじいちゃんでいっぱい。「ゼッケン1193番 兵庫県の北村さん」とアナウンスがあって、皆が名前で呼んでくれます。
声援にいっぱいの笑顔で応えようと思って、つい泣くのを忘れていました。ここは泣いて通過したかったのに。駅前の角を右折すると、鷹巣名物の大太鼓が迎えるゴール地点。
9時間28分8秒(57分56秒)。完走者725人中、51位でした(完走率54.8%)。係員のおばちゃんに丁寧にアイシングしてもらい、後続のランナーを迎えました。50~85キロまで並走したY村さんも9時間半を過ぎてゴール。しばらくお話しして、健闘をたたえあいました。うちと同じく、夫婦での挑戦でした。
すぐに近くの銭湯まで送迎していただいて、汗を流した後、ゴール近くの歩道に腰をおろして、ビールを飲みながら、妻や友人のゴールを待ちました。ゆったりとした時を感じることができる時間です。
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きょうランニングから帰ってくると、「おしどり賞」が届いていました。あきたこまち5キロと銘菓「もろこし」、そして大学の卒業証書よりも立派な賞状。秋田の皆様、ありがとうございました。
木曜日はチームアジアの練習会で大阪城周回を3周。レースペースで58分かけて13.5キロでした。金曜日は出勤前に武庫川河川敷を宝塚市役所までゆっくりジョグ。1時間52分かけて20.7キロ。今月累計は125.4キロ。体重は69.0キロ。あすはマツダスタジアムでカープ最終戦を見てきます。
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鉱山で栄えた町を過ぎ、再び稲穂が輝く道へ…秋田完走記【4】 [秋田ウルトラ]
60キロ通過は5時間40分16秒(53分23秒)。60キロ手前の萱草鉄橋は秋田内陸縦貫鉄道の98キロの道のりのなかでも絶景ポイント。僕自身も鉄橋フェチですから、ここは足を止めて写真を撮ります。50キロ以降、前後している女性ランナーのY村さんにはここでまた抜かれました。
国道のトンネルを前にして、コースは旧国道の萱草集落を縫う道に入り、この集落を抜けたところが60キロ地点でした。再び国道に戻り、次は阿仁合(あにあい)の集落。かつては鉱山で栄えた町で、町の中心にはドイツ人技師が住んだ洋館「阿仁異人館」も残されています。
旧国道沿いにはマタギの方が使う刀を売る店があったり、なんだか楽しい。集落の出口には北緯40度のゲートがありました。間もなく65キロ地点。再び国道に戻り、さらに北上を続けます。
Y村さんと前後する旅はまだ続きます。 70キロは6時間35分8秒(54分51秒)。間もなく阿仁前田の交差点を過ぎ、ピークを越えて出会う平地がだんだん広くなってきました。
このコースは82キロ地点の米内沢(よないざわ)で風景は一変します。それまでの山間の道から、金色の稲穂が輝く水田の中の道へ。つまりレースはいよいよ最終ステージに入ります。
サロマが80キロでワッカに入るように、ウルトラマラソンではこんな幕の変化が精神的にも、体力的にも大きな位置を占めるんですよね。秋田とサロマが好きなのはそんな理由からなんですよね。
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台風がやってきました。きょう水曜日は小雨に降られながら、武庫川河川敷を宝塚市役所まで往復20.4キロ。1時間51分でした。今月累計90.8キロ。体重は70.4キロ。
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美女ランナーと追いつ追われつ中盤を耐える…秋田100キロ完走記【3】 [秋田ウルトラ]
秋田の公式タイムがホームページにアップされていました。妻は12時間29分30秒、僕は9時間28分6秒でした。二人して「30分」の壁に挑み切ってこそのタイムでした。満足しています。
月曜日は私たち夫婦と同じく、夫婦そろってサロマ・フィニッシャーのシロックさん、カッチーさん夫婦と、六甲縦走でした。摩耶山から、六甲山頂を経て、宝塚まで26キロ。トレイル好きの妻も大喜びでした。今月累計で80.2キロ。体重は68.6キロ。
秋田のウルトラは40キロを過ぎて、正念場に入ってきました。
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峠道(42キロ)を越えてからの長い長い坂道は、「ここでたっぷり休もう」と思っていた区間でしたが、疲労感が意外にあって余裕を持つことはできませんでした。下る勾配も変わって、勢いよく下るというわけにはいきませんでした。
今回は荷物が置ける比立内の49キロ地点に、荷物を預けませんでした。これは僕のウルトラでは初めてのこと。エイドも素通りをして、いよいよレース後半。50キロ通過は4時間46分52秒。これを単純に2倍すると9時間33分ほど。だから、このさい9時間半を切るのを後半戦の目標にしました。
比立内からは秋田縦貫内陸鉄道と並行して走ります。マッチ箱みたいな汽動車が通り過ぎるたび、車両の窓から箱乗り状態の女性たちから声援が飛んで、うれしくなります。このころから、岐阜の女性ランナー、Y村さん(最終的には女子4位)と並走することが多くなりました。
しばらく進むと、笑内(おかしない)の集落。「ここは笑内。なんと読むべか」という看板で楽しくなるところ。刺激が少ないウルトラマラソンだから、こんなことでもうれしいのですよねぇ。
荒瀬の集落を越えて、阿仁合の集落に入ります。ここは北緯40度。国道をそれて集落を通る旧道に入り、応援も、エイドも熱くなるところ。名物の「しそジュース」エイドもたっぷり3杯頂いて、先を急ぎました。一定のペースで走っている岐阜の女性ランナー、Y村さんとは前後する状態が続いています。
経験則から、この場合、女性をペースランナーにしたほうが、いいリズムを刻めるんですよね。
「よし、彼女と近い位置で付いて行って、ゴールしたら絶対にお話ししよう」という淡い期待を抱いて、これを新しいモチベーションにしました。男って、本当に単純ですよねえ。
60キロ通過は5時間40分16秒。残り40キロ。
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エイドでの他愛ない会話が楽しくて…秋田100キロ完走記【2】 [秋田ウルトラ]
認めたくないけど、仕方がありません。カープのクライマックスシリーズ進出の道が途絶えました。これはすなわち、マーティーの来季の契約の望みが途切れたことになります。後任は野村謙二郎が濃厚だそうですが、愛する者を失う喪失感から、しばらくは心の整理ができない日々が続きそうです。
ともあれ、妻とマツダスタジアムにおもむく10日の最終戦は「ありがとう、マーティー」という気持ちを伝える最後の機会となります。でも背番号「71」は僕には永遠ですから。
秋田の完走記は続きます。
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20キロ通過は1時間57秒0秒(57分30秒)。前をゆくツーツーさんの後姿が見えてきました。ツーツーさんは札幌時代からの濃厚なライバルで、「チームサボテン」の主要メンバー。今年は洞爺湖で敗れ、サロマでなんとかリベンジ。8月の北海道マラソンも3時間少しの記録で目下絶好調のようす。
いくつかアップダウンを繰り返して、25キロ手前のエイドで追いついて並走することになりました。
1700人もの参加者がいて、そのなかでライバルに出会えて一緒に走れるというのはほんとに嬉しいこと。フル、ウルトラを問わず、レースでは仲間とどこで出会えるかが、大きな楽しみであり、ある意味、いまの自分の実力を測るバロメーターでもある。レースでのキーポイントです。
30キロ通過は2時間53分56秒(56分56秒)。上桧木内の道の駅も応援の方が多くて、「いよいよここからが本格的な上り」と気持ちが引き締まります。
エイドでのおばちゃんたちとの会話も楽しくなってきました。
「あら、素敵なおひげ」「おや、ひげだけかいっ」「うわっ…、サングラス外すともっと素敵」「うわわ、かみさんにも、そんなこと言われたことないよ」
他愛のない会話だけど、なにを頂くか選んでいる間の短い会話がなんて楽しいことだったか。
なんて言っている間に上りはいよいよ本格的になってきました。40キロ手前のエイドを過ぎると坂が壁のように立ちはだかります。ここで名物のなめこ汁を食べ、勢いよく飛び出しました。
40キロ通過は3時間52分21秒(58分25秒)。大きなヘアピンカーブをぐるっと回ると、後方のツーツーさんと離れていることに気づきました。最高地点の大覚野峠(570メートル)はちょうど42キロ過ぎ。昨年以上に足を使っていて、息も荒いことに気がついて、「大丈夫かな」と疑い始めました。
なだらかな上りの長い覆道を過ぎると、一転急なくだりに入ります。でも、まだレースは半分もきていないことに、なんだか気が遠くなり始めました。11時の気温は26度。暑さがじわりと襲ってきました。
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朝刊勤務明けの日曜日は会社の同僚のシロックさんのお誘いで、奈良の「王寺ランナーズ」の練習会に参加してきました。JR奈良駅から、柳生までを往復し、最後は若草山を経て、平城京跡の朱雀門まで、4時間5分かけて、35.2キロ。今月累計では42.2キロ。体重は68.4キロ。
朝日が黄金色の稲穂に輝いて…秋田100キロ完走記【1】 [秋田ウルトラ]
昨日金曜日の朝、秋がすでに深い秋田から、まだ暑さが残る大阪に帰ってきました。ウルトラマラソンを走った後はいつも、寂しさを感じてしまいます。100キロを走って味わった感動や、苦しさのすべてが、すべて夢幻であったかのような。
招く側の秋田の人たちもそれは同じようで、レースがあった日曜日に宿泊した鷹巣の旅館の女将さんが、「終わったねぇ。寂しいねぇ。また来年、待ってるわね」と言っておられたのが印象的でした。でも来年の大会には妻とともに参加することを決めました。すでに角館の宿を抑えてきました。
恒例により秋田のレースを計5回で振り返りたいと思います。
さて土曜日。伊丹空港から花巻空港までとび、昨年も同行した札幌の「チームサボテン」の仲間とは、スタート場所の仙北市角館交流センターで落ち合いました。前夜祭では、角館の名家石黒家の当主で、現在は仙北市長の石黒直次さんに「サボテン」の席においでくださり、うれしい記念撮影。
その夜は、角館の老舗旅館「石川旅館」に泊まりました。宿の記録によると戊申の役で、官軍についた秋田藩の救援のため訪れた九州からの兵士が滞在し、戦前には犬養毅が泊まったのだとか。
きりたんぽ鍋の食事と、ほどよくお酒も頂いて、午後9時には眠りにつきました。
さてレースの朝。午前3時半までゆっくり休んで、きょう一日始まるレースの成り行きを想像しながら、旅館から歩いて10分ほどのスタート地点に向かいました。角館の朝は静かですが、スタート地点はすでに音楽が鳴り響いて、興奮に包まれています。
目標はぎりぎりでいいからサブテンを達成すること。70キロ以降、粘る走りができればいい、と。それから、沿道のおばあちゃんたちにいっぱい「ありがとう」と言いながら走ることでした。
午前5時。いよいよスタート。妻と一緒に後方に陣取りました。武家屋敷を抜けるまでの最初の3キロは並走しました。妻は体調が悪そうですが、完走したい意欲にあふれているようです。
妻と離れて、国道46号から左折して、桧木内川を渡ると国道105号(通称阿仁街道)。稲刈りが間近に迫った黄金色の田んぼをひたすら北に向かいます。低い雲が山すそにたなびいていて、朝日を受けて幻想的な光景です。
すっかり夜が明け、沿道には早朝から多くの地域の人たちが応援に出てくれていて、旧西木村の西明寺では少年野球の子供たちがいつもどおりにハイタッチで迎えてくれました。
10キロ通過は59分30秒。わずかにキロ6分を切るペースですが、実はGPSのガーミンとの誤差がキロを重ねるごとに大きくなってきました。チームサボテンの仁美ちゃんやはづきさんに追いついて、しばらく並走します。コースはいくつかの小さな峠を越えながら、少しずつ標高を稼ぎます。
20キロ通過は1時間57分0秒(57分30秒)。ほぼ5キロごとにあるエイドも少しずつ漬物など品数が増えてきて、「本当にこのコースに戻ってきたんだなあ」と嬉しくなりました。(つづく)
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秋田内陸100キロ…夫婦揃って完走でした [秋田ウルトラ]
27日の秋田内陸チャレンジ100キロマラソンに参加してきました。秋田は22度ぐらい、暑い日になりましたが、後半粘って9時間27分50秒(自己計測)でゴールできました。
体調不良で臨むことになった妻も暑さとアップダウンに苦しみながらも、なんとか12時間28分台でのゴール。「おしどり賞」を頂くことになりました。後日、あきたこまちのお米が送られてくるそうです。
この大会がますます好きになりました。沿道で熱い応援を頂いたおばあちゃん、おじいちゃん、そして子どもたち。大会運営にかかわられたすべての皆さま、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
明日は男鹿の「なまはげ館」を訪れ、協和町の唐松温泉に宿泊予定です。
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秋田100キロの感動を思い出しました [秋田ウルトラ]
すべて断られてしまいました。「クリスマスイブだから、妻と食事ですよ」。あ、なるほど。
単身赴任というのはこんな時、いけません。仕方なく餃子の王将でひとり飲みして帰ってきました。
火曜日の夜、NHKの特集番組「ホリデーにっぽん」は、秋田内陸100キロマラソンがテーマでした。
番組は沿道の風景とレース展開を追いながら、ランナー2人の生きざまを浮き彫りにしています。
いい番組でした。沿道の風景を鮮明に思い浮かべながら、涙をぽろぽろと流していました。
一人は不況で厳しいノルマを課され、会社から部下から板ばさみにあいながらも、走ることを通じ、
強い気持ちを持って仕事にも家族にも向かっていこうとする40代の中間管理職。
もう一人は、前回3年前に出場した時には沿道に応援に来てくれていた愛妻をがんで亡くし、
その妻との3年ごしの約束を果たすため、初めての完走を目指して走る74歳のおじいちゃん。
不思議なことに、どちらのランナーにも、ついつい強いシンパシーを抱いてしまいます。
当たり前のことだけど、ランナー一人一人にウルトラに挑戦するにいたったドラマがあって、
応援する人にもドラマがあって、大会を楽しみにして、ランナーたちを温かく迎えてくれる。
家族に支えられながら、あるいは誰かとの約束を果たすため、あるいは強く生きていくために、
あえて困難を設定して、それを乗り越えるために一日がかりの厳しいレースに挑んでいく。
最初は、「この番組、ドラマになる人をうまく探し出したなあ」と思いながら見ていましたが、
よくよく考えたら、ドラマを抱えていない人など誰一人いないんですよね。当たり前のことです。
強い気持ちを持って挑む。フルとウルトラでは違う部分もあるのだけど、根本は同じなのかな。
というわけで、来年も札幌のチーム・サボテン計5人で秋田100キロに挑むことが決定しました。
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今週月曜日から、今年最後のプチ強化合宿中です。強めの負荷をかけるのが目的でしょうか。
きょうも武庫川河川敷を宝塚市役所まで往復走プラスα、しめて2時間7分かけて23.6キロ。
今月累計は256.0キロ。体重は69.6キロ。今年の締め、350キロは確保するつもりです。
世界一の大太鼓の音に迎えられて…秋田100キロ完走記【完】 [秋田ウルトラ]
お年寄りと若い人たちの連携が優れていて、ありがちの、マニュアルに従っているだけという人はいない。
応援もパンフレットからわざわざ名前を探し出してくれて、「兵庫から。遠くからご苦労様」
あるいは「阪神大震災のあったところだすな」などとエイドでも声を掛けてくれます。
このほかにも、農家や田んぼの入り口にさりげない私設エイドが置かれ、印象に残っているのは、
ざるに大小のトマトを置いていたおばあちゃんと、農作業中のおじさんが切ってくれたスイカでした。
80キロを過ぎるとコースに変化がなくなるだけに、こんな思いがけないエイドのなんと嬉しいこと。
85キロ通過は8時間43分05秒(31分26秒)。キロ6分少しのリズムはまだ維持しています。
ぼくがこの大会を知ったのは、まだハーフを走るのが精一杯だった秋田在勤時代でした。
たまに飲みに行っていた同年代の女性が合川町出身で、一度実家を訪ねたことがありました。
コースのすぐ右側に見える集落がそこで、それが懐かしく感じて沿道の声援に応えます。
90キロ通過は9時間15分47秒(32分42秒)。ここでペースがやや落ちました。
前後するランナーの顔ぶれは、このころになるとほぼ固定してきます。
抜かれ抜き合うときに、声を掛け合うのもウルトラレースの終盤の苦しいけれど、楽しいところ。
旧合川町を抜けると上り坂が続きますが、走り方にアクセントができるので嬉しくなります。
95キロ通過は9時間48分12秒(32分24秒)。そして最後の上り坂を上っていきます。
大館能代空港を横切るトンネルを抜けるとあと3キロ。鷹巣の市街地が見えてきました。
米代川の橋を渡り、鷹巣の商店街に入ると、「1344番 兵庫県の北村さんです」と放送されました。
この商店街の応援が熱くて、涙がこぼれそうになりました。そしてJR鷹ノ巣駅前の角を右折すると、
名物の大太鼓が迎えてくれます。鎌倉時代に秋の収穫を祈願する神事として始まったという大太鼓。
直径3メートルもの太鼓がゴール直前のランナーを迎えてくれます。
そして午後3時過ぎにゴール。10時間21分20秒(33分8秒)でした。
ビールをたんまり頂いて、そして切りきんぽを頂きながら、チームサボテンの仲間が戻るのを待ちました。
ひとみちゃんは10時間50分台、とよちゃん11時間10分台、そしてちづちゃんと谷さん11時間50分台。
チームサボテン、見事に全員完走でした。夜は近くの温泉宿で大宴会となりました。
エイドも運営もコースも非の打ち所がない秋田のレース。早々と来年の遠征先も秋田が濃厚となりそうです。
運営とボランティア、そして応援、本当にありがとうございました。
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金曜日に台北から大阪に戻りました。飲み、食べ、野球観戦も楽しんだ台北報告は、来週の予定です。