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高槻シティ国際ハーフ…1時間28分23秒でした [レース参加記]

日曜日にあった高槻シティ国際ハーフマラソン、最高気温8度ほどで微風、快晴のいいコンディションでした。最低で4分半ペースを維持して、1時間34分台、できたら90分切りを目指そうと挑んだレースでしたが、上出来の1時間28分23秒でした。

芥川と淀川の標高差10メートルほどの河川敷を回数を忘れるほど、何度も上って下りて、あとは住宅街の迷路のような道路を走るという、ちょっとくせがあるコースで、友人からは「信号待ちもあるよ」と聞かされていましたが、幸い最後まで気持ちよく走ることができました。

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スタート位置は前から6、7メートルのところに並べたので、最初は流れに乗っていきました。1キロ4分10秒。河川敷に上って「これでは速すぎる」と感じて下げましたが、5キロは21分16秒。

ここからは河川敷の上で、快適でした。微風の向かい風を感じながら、淀川の対岸の枚方や八幡の風景を楽しみながら、10キロは41分57秒(20分41秒)。やや上がっていました。

河川敷を下りてしばらく住宅街を走り、中間地点は44分ちょうど。13キロで再び河川敷の上に上り、枚方大橋の手前でまた住宅街に下りて、15キロは1時間2分47秒(20分49秒)。

「なんや、走れてるやん」と気づいたのはこのころからで、目標を「1時間28分台」に変更して、前の人を追い抜いて行きました。18キロ地点の次郎四郎橋を駆け下りて、コースが狭くなって、自然にペースが上がっていきました。

20キロ通過は1時間23分57秒(21分10秒)。最後の1097.5メートルは4分25秒で爆走しました。フィニッシュは1時間28分23秒。「会心のレース」という言い方をすれば、昨年2月の泉州国際マラソン以来でした。「別大」をどう入るかは、2週間ゆっくり考えようと思います。

高槻で感動したのは手渡しの給水がとりやすく、取り損ねたのが一回もなかったこと。ただでさえ、給水が苦手なぼくには、ストレスを取り除く大きな要素でした。沿道の応援も多く、何よりエントリーフィーが3500円と安く、無駄なパンフレットも簡略化していて好感が持てました。

高槻の皆さま、ありがとうございました。

土曜日の駅伝については、あす以降のブログで触れたいと思っています。

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腰の位置がこんなに下がるものなのか…青島太平洋完走記【下】 [レース参加記]

30キロを過ぎると、間もなくサンマリンスタジアムが左手に近づき、国道220号ともお別れ。長い坂道を下っていくと、すぐに公園内の道に入りました。ところが突然、腰のあたりにずしんとした重みを感じて、それまで腰高を心がけていたフォームを保てなくなりました。

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体重管理に失敗したのは、以前に記したとおりですが、金曜日のランの後に測った74.2キロが、この日のレースで何キロだったか、定かではありません。ベストに比べると、少なくともプラス5、6キロ。これでスタート地点に立つ方が間違いかも、と思うぐらいでした。

運動公園に入ると32キロ地点があり、この時点でキロ5分ほど。ここからはさらにペースが落ちて、後続のランナーに派手に抜かれていきます。青島へのトロピカルロードに入ると、キロ6分を維持するのが精いっぱいになりました。上半身がどすんと下に落ちているのがわかります。

骨盤を動かす力がすでになく、ももが前に伸びない状態でした。道マラの30キロ以降、秋田ウルトラの60キロ以降とほぼ同じ。35キロ通過は2時間41分56秒(27分10秒)。

ここで3時間20分は切ろうと目標を切り替えました。青島の折り返しを過ぎても幸い風はなかったけれど、前に進みませんでした。38キロで北海道のトライアスリートのまごちかちゃんに抜かれ、運動公園に戻ってきた40キロは3時間11分43秒(29分47秒)。キロ6分に限りなく近いです。

残念ながら最後上げる力もありませんでした。フォトサービスの「オールスポーツ」のサンプル写真を後日見ましたが、「ここまで腰位置が下がるのか」と思うほど見苦しいフォームでした。

ゴールは3時間24分30秒(12分47秒)。最後の2195メートルをこんなにかかったのは初めてでした。さきにゴールしていた友人たちに迎えられて、記録証を受け取った後、芝生に座りこんだまま立ち上がれずに30分ほどそのままでした。

キロ4分半で走り切るという目標は遠く、3時間15分も無理で、3時間20分も遠かった。

思えば初マラソンだった5年前の旭川マラソン(2005年)は3時間24分1秒でした。3か月半前の道マラの4時間32分がスタートだったと考えれば、ここまでよく戻ってきたという言い方もできるかもしれません。確かに3時間半を切ってちょっとホッとしている現実もあります。

レース前の体重管理がいかに大切か。それに、30キロペース走をせずにレースに臨んだことの愚かしさを、芝生の上に寝転びながら痛いほど感じていました。

別大までにしなければいけないことがはっきりしただけで、意義は大きかったのかもしれません。

                               ♪

日曜日は午前中に自宅、伏見桃山城、天ケ瀬ダム、白川、太陽が丘公園、城陽ゲート、宇治橋、自宅の28キロ。月曜日は帰宅後、自宅から黄檗駅まで2往復のナイトラン12キロでした。今月累計は156キロとなりました。

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市街地の応援にランニング・ハイ気分でした…青島太平洋完走記【中】 [レース参加記]

宮崎神宮前のロータリーを折り返すと、橘大通りを南に進んで、往路のランナーたちを迎えます。関西明走会や、チームアジアのメンバーとすれ違うたび、エールを交わしあいます。毎年、レースの前日に通っているスナック「ジャンティー」のママが応援してくれていました。

百貨店前を過ぎると、再び楠並木通りに入り、折り返すとすぐに20キロ地点。1時間28分36秒(22分8秒)。市役所前を通り、橘橋を渡り切るところがハーフで、1時間33分ちょうどでした。

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このあたりはまったくランニングハイで、どこまでも走り続けられる気分でした。南宮崎の市街地を抜けて、宮崎インターに続く緩い上り坂を辛抱して走ります。日差しがありますが、暑くはありません。

女子高生、男子高生たちの応援が盛んで、ハイタッチを求めてきたり、いちいち声を振り絞って「がんばれ」と言ってくれたり。25キロ通過は1時間51分20秒(22分43秒)。やがて視界が開けて、視界の先にスタート地点のサンマリンスタジアムが見えてきました。

例年ここは辛抱しなければならないポイントですが、無風なのに驚きました。集団はばらけて一人で走る時間が増えてきましたが、負担にはなっていません。分離帯のワシントニア・パームの陰は短く、スタジアムに続く道が日差しに反射してまぶしく見えました。

30キロ通過は2時間14分40秒(23分19秒)。サブスリーペースと比べると、10分以上も遅れていますが、順調に設定ペースを積み重ねている心地よさを感じていました。(つづく)

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ペース設定には誤りがなかったはずです…青島太平洋完走記【上】 [レース参加記]

月曜の午前中の伊丹行き飛行機で宇治に帰ってきました。日曜日は「チームアジア」の一行と別れた後、ライバルの「チームからふる」幹事長のとよちゃんと打ち上げ。その後、関西明走会の打ち上げに合流して、最後はまたとよちゃんと合流するはしご酒でした。

地鶏のモモ焼きも、チキン南蛮も、たまり醤油でいただくアジの刺身も、肉巻きおにぎりも旨かった。

今季の初戦だった青島太平洋国際マラソンの完走記を、3回でつづりたいと思っています。

                         ♪

アオタイの朝は早いです。午前5時半に起床し、ささと朝食を済ませ、午前6時20分にチームアジアのメンバーとバスで会場に向かいました。今年は渋滞もさほどではなく、7時20分には会場着。ゆったりと朝寝をして、アップをして、スタートの9時を迎えました。気温は10度ほど。無風。

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最前列から20メートルほどの位置に並び、スタートロスは14秒。最初は運動公園内を走って、国道   に入り、最初の1キロは4分38秒。次の1キロで8分55秒とし、ここからキロ4分30秒の旅が始まりました。

国道220号の名物は何と言っても背の高い中央分離帯のワシントニアパーム。その長い影を踏みながら、1キロ、1キロとペースを刻みます。スタート時には少し前にいた、サブスリーペースランナーを取り巻く集団はすぐに視界から消えてしまいました。

ブログ101213①.jpg(写真は一昨年のレース、県庁前)

3キロから4キロにかけ、道は大きく左にカーブしていて、路面が左側にバンクしています。この傾斜が気になりました。どうもバランスが悪い。過去2回の出場時にはなかったことでした。

5キロ通過は22分15秒。やや進むと国際ランナーの小五郎君に抜かれました。先週の奈良マラソンに出て、きょうはファンランだとか。宮崎インターに向けたなだらかな坂を上って、インターを過ぎるともうひと坂あります。南宮崎の市街地が近づいてくると10キロ地点。44分21秒(22分6秒)。

集団につくとキロ4分20秒ほど。意識して、ペースが上がらないように気をつけます。

大淀川にかかる橘橋を渡り、市役所の前を過ぎると13キロ地点。沿道の応援が増えてきます。堅調に続く楠並木の通りに入ると、先行するランナーたちとすれ違います。ライバルのとよちゃんはちょうど1キロ先行していました。折り返して再び県庁の前を過ぎると橘大通り。

レース序盤ですが、このコースで一番楽しく、気持ちが高ぶるところ。デパート前交差点を過ぎて、宮崎神宮手前の15キロ地点通過は1時間6分27秒(22分7秒)でした。

2時間58分台で走り切れた昨年の自分にはかなわないけれど、「4分半というペースはなかなか、いい設定だったな」と自己満足しながら、沿道の声援にこたえていました。(つづく)

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青島太平洋…3時間24分30秒でした [レース参加記]

日曜日の青島太平洋国際マラソン。最高気温15度くらい、ほぼ無風絶好のコンディションでした。

30キロまでは想定通り、キロ4分半を切るペースで行きましたが、そこからからだが沈むような重さを感じ、青島の往復はジョグになりました。

木曜のジョグのあとの体重が74.2キロ。体重管理を含めて、やり直しです。30キロまで想定ペースで走れたのが唯一の収穫でした。

残り2ヶ月を切った別大までに乗り越えないといけない課題はいっばいあります。応援ありがとうございました。今月累計は116キロとなりました。

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びわ湖男女駅伝フェスティバルに参加しました [レース参加記]

日曜日は滋賀県の希望が丘運動公園であった「びわ湖男女駅伝フェスティバル」に参加してきました。チーム関西明走会Bチームのメンバーとして、5区(6.0キロ)を走りました。

スピード系のレースはなんと今年2月の泉州国際以来。短い距離なのに、前日からドキドキしていました。昨年はアンカー区間の7区(7.0キロ)を走って、26分4秒。キロ3分50秒ほどでした。調整が遅れている今年はこれと同じキロ3分50秒で走り切るのが目標でした。

でも駅伝ってどうしても最初に飛び出しすぎてしまいます。同じ明走会のAチームに比べて、2分ぐらいのアドバンテージがあって、これを4分ほどに広げたいと突っ込んで行きました。

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レース用の「スカイセンサー」を履くのも久しぶりで、足を踏み込むたびに鳴る「キュッ、キュッ」という音を楽しんでいきます。3分35秒ほどで入ったため、1キロも行かないうちに息がかなり荒くなり、登りの坂道に入ったのでやや落としました。

抜いていくランナーを数えながら、「7」まで数えたところで、息がさらに荒くなり、「これでは最後までもたんやろ」と思って、さらに落とします。このコースの坂道は4、5段階あって、折り返せばあとは下りを楽に下りていけるはず。折り返しは12分50分ほど。キロ4分15秒のレースペースです。

折り返した後はペースを上げてキロ3分50秒ほど。先行する大学チームの6区(5キロ)のランナーに2人抜かれましたが、ここは粘りました。2人目のランナーに付いていき最後まで。ゴールは23分43秒。キロ3分57秒ぐらいでしょうか。

のどが切れて血の味がして、いつものように強い吐き気をもよおしましたが、練習量が伴っていないこのシーズンの初戦をこのタイムで走れたのがうれしかった。妻となおらいが応援に来てくれていたので、打ち上げには参加せずに帰りました。みなさま、お疲れ様でした。

2週間後の青島太平洋は4分半でどこまでいけるか粘ってみます。別大でどのペースで入るのか、それを決めるための試走という位置づけになりそうです。  

土曜日は自宅から伏見桃山城、三室戸寺、天ケ瀬ダム、太陽が丘を巡る25キロ走。今月累計では245キロ。11月は300キロまで積みたかったのですが、かないませんでした。

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2年ぶりの北海道マラソン、4時間32分でした [レース参加記]

29日の日曜日、北海道マラソンを走ってきました。過去3回出場して、2006年はキロ4分半ほどで行って27キロで真っ直ぐ走れなくなり、転倒して側溝に転がり落ちて救急車に運ばれました。

07年はキロ4分ちょいのサブスリーチャレンジでしたが、29キロで走れなくなり、歩道の縁に座り込んでいたところを救急車で運ばれ、急性腎不全で病院に一泊させてもらいました。

08年はキロ5分ペースで35キロまで走りましたが、やはり38キロで真っ直ぐ走れなくなり、そこからの大通、すすきのを蛇行しながら歩いて、「初完走」の3時間49分。

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そんな、辛い思い出が多いレース。今回はキロ5分で3時間半という目標を立てましたが、タイムはどうでもいいから、歩かないで完走するのが目標でした。昨年からコースは大幅に変更されましたから、このコースは始めてです。

スタートは中島公園を午後零時10分。スタートは「Eブロック」でした。

幌平橋を渡り、中の島通を標高差30メートル上り、平岸通を下っていきます。キロ5分のつもりが、混雑しているせいもあってキロ5分半からは上がらず、5キロは29分21秒、創成トンネルを抜けた10キロは56分40秒(27分19秒)。ふた月前のサロマと同じようなペースでした。

このあたりから暑くなりました。スタートの27度がもう30度ほどになっているようです。

いったん新川通に入って、新琴似一番通に入るところは2年前までのコースと同じ。15キロは1時間25分24秒(28分44秒)。延長6キロを往復する長い新川通に入り、20キロは1時間55分16秒(29分51秒)。このあたりは日差しも厳しく、気の遠くなりそうな直線を進みました。

前田森林公園の先で折り返して25キロは2時間26分01秒(30分45秒)。キロ6分を超えてしまいました。30キロは3時間0分4秒(34分2秒)。ナイアガラのエイドに胃薬を預けていたので、ここでいただくとちょっと元気が出てきました。ただ気持ちはつながっているのに足が前に動かない。

ここで改めて「最後まで絶対に歩かない」と誓いました。4時間半を超えても、5時間の制限時間が迫ろうと、完走しようと。そうしないと、秋から冬にかけてのシーズンが戦えないと思いました。

35キロは3時間37分41秒(37分36秒)。友人たちに「むうさん、なにしてるの」と叱られながら、抜かれていきます。ただこのあたりは歩いている友人も多く、「もうちょっと、がんばろう」と声をかけながら、38キロからの北大構内に入りました。

陰に入って、暑さはもう気にならなくなりました。ただスピードは上がらず、40キロは4時間15分54秒(38分13秒)。キロ7分20秒ほどのペースまで落ちました。

北大を抜けて、JRのガードをくぐると、2年半前まで勤務した会社があり、すぐに道庁。大通りに出て、西8丁目公園のゴールは4時間32分台でした。フルマラソンでは堂々の自己ワーストでしたが、走りきったことにただ今は満足しています。

シャワーも浴びずに、着替えだけして、「からふる」「ナイアガラ」の打ち上げをはしごしましたが、固形物は食べられず、ビールもちょっとずつ、吐き気を我慢しながら飲みました。

沿道で多くの友人に「むうさん、あきらめるな」と声援をいただきました。ありがとうございました。

9月末の秋田のウルトラを経て、どうシーズンを迎えるのか。こんなふがいない結果だしたが、体作りを含めて、改めて考え直したいと思っています。長々と読んで頂き、ありがとうございました。

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ほとんど準備ができないまま、サロマの舞台を迎えました [レース参加記]

こう言ってしまうと言い訳ですよね。先週末から、15キロ走が3回。30キロ走を一度入れたかったのですが、それもかなわず、金曜日は来週初めの仕事まで強引に済ませてきました。

サロマを走るのは4回目ですが、ここまで準備できなかったのは初めてです。自己ベストを狙う状態からは程遠く、まずは完走、できれば10時間を切りたいというのが本音でしょうか。

金曜日に退院してきた妻と息子を京都に残しての、北海道行きになります。土曜日は朝5時に自宅をたち、チームアジアの友人2人と合流して、11時ごろ札幌に着き、お昼過ぎに「チームからふる」の友人の車でエントリー会場に向かいます。

網走の日曜日の最高気温は27度、最低は20度。これぐらいの暑さなら、普段から慣れていると言っても、ここ数年ではない、厳しいサロマのレースになりそうですな。

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「敵は本能寺にあり」マラニックに参加してきました【下】 [レース参加記]

本能寺を過ぎると、光秀にとってみれば「暗転」への道です。実はサロマを前にして、春先からいままで、かなり走り込み不足という意識があり、この日の45キロが走りきれるかどうか不安でした。

「最後まで走りきる。絶対にあるかない」と決めていましたが、実は意志は固くはありませんでした。

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油小路を西に進み、すぐに南に曲がると五条通。ここを西に折れると、河原町五条。ここの「なか卯」が公式のエイドで、ここでは無料で定食がいただけます。ただ、行列ができていたのでパスして先を急ぎました。鴨川を渡り、川端通りを南に向かいました。

ここにきて、足が前に伸びなくなり、ピッチが上がらないのに気付き始めました。東福寺への旧街道(伏見街道)に入ったころ、コンビニに入ってミルクコーヒーを飲みましたが、ここから走れなくなりました。何人かに抜かれて、名神高速道路沿いの坂道に入りました。

このコースでここにきて、上り坂が続くのが想定外で、その心理的な動揺で「もうどうにでもなれ」とこの付近はかなり歩きました。歩いた距離は延長で5キロほどでしょうか。

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光秀が殺された小栗栖の明智藪には小さな塚があり、ここでお参りした後は再び急坂になりました。さて、矢つき刀折れ、供の者も少なくなった光秀が、ここを通った時はどんな心持ちだったか。

そんなことを考えながら、ここからはゆっくりだけど走り続けました。キロ6分は過ぎるくらいでしょうか。ゴールの近鉄竹田駅近く、「力の湯」に着いたのはスタートから5時間20分たった午後3時20分。40位でした。

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この日のマラニックが自分にとって、どうだったのか、実は評価に迷うところです。少なくとも、サロマで自己ベストを目指すレベルではないとわかったのが、よかったのかもしれません。

あとは、どうレースプランを組み立てるのか、来週あたりもう一度、体を痛めつけてみたいと思っています。大会を運営された皆様、ボランティアの皆様、お疲れ様でした。

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「敵は本能寺にあり」マラニックに参加してきました【上】 [レース参加記]

30度の真夏日になった日曜日。京都府亀岡市のJR馬堀駅から、伏見区のスーパー銭湯「力の湯」まで、45キロを走る「敵は本能寺にありマラニック」に参加してきました。主催するのは年間10大会ほどの歴史街道マラニックを主催している「京和トライアスロンクラブ」です。

関西ではちょっと有名なクラブで、代表の井上さんは4月に取材でお会いしています。

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参加したのはほぼ200人。再評価をされつつある光秀のことですから、いわゆる「歴女」の参加も多いようでした。スタートは午前10時。山の入口が狭く、ナンバーカードに従って4グループに分かれる流れスタートでした。

しばらく信号を守りながらロードを走った後、トレイルに入り、まずは前後のペースに合わせて、山を登っていきます。

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最初のピークのみづき山は430メートル。ここからは400メートル前後の尾根伝い進む、快適なところ。415メートルの沓掛山を過ぎると、一気に下ります。住宅街が近くなり、竹やぶの道に入るとまもなく墓地に入り、ひやしあめのエイドがありました。

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上桂駅を越え、桂川の左岸に渡ると、松原通りをひたすら東に進みます。西大路、堀川通りを過ぎ、油小路を北に進むと、まもなく現在は堀川高校になっている旧本能寺跡地です。

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スタートから2時間20分がたち、気温は30度を超えました。(つづく)

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