SSブログ

腰の位置がこんなに下がるものなのか…青島太平洋完走記【下】 [レース参加記]

30キロを過ぎると、間もなくサンマリンスタジアムが左手に近づき、国道220号ともお別れ。長い坂道を下っていくと、すぐに公園内の道に入りました。ところが突然、腰のあたりにずしんとした重みを感じて、それまで腰高を心がけていたフォームを保てなくなりました。

2009_map_bigbutton.gif

体重管理に失敗したのは、以前に記したとおりですが、金曜日のランの後に測った74.2キロが、この日のレースで何キロだったか、定かではありません。ベストに比べると、少なくともプラス5、6キロ。これでスタート地点に立つ方が間違いかも、と思うぐらいでした。

運動公園に入ると32キロ地点があり、この時点でキロ5分ほど。ここからはさらにペースが落ちて、後続のランナーに派手に抜かれていきます。青島へのトロピカルロードに入ると、キロ6分を維持するのが精いっぱいになりました。上半身がどすんと下に落ちているのがわかります。

骨盤を動かす力がすでになく、ももが前に伸びない状態でした。道マラの30キロ以降、秋田ウルトラの60キロ以降とほぼ同じ。35キロ通過は2時間41分56秒(27分10秒)。

ここで3時間20分は切ろうと目標を切り替えました。青島の折り返しを過ぎても幸い風はなかったけれど、前に進みませんでした。38キロで北海道のトライアスリートのまごちかちゃんに抜かれ、運動公園に戻ってきた40キロは3時間11分43秒(29分47秒)。キロ6分に限りなく近いです。

残念ながら最後上げる力もありませんでした。フォトサービスの「オールスポーツ」のサンプル写真を後日見ましたが、「ここまで腰位置が下がるのか」と思うほど見苦しいフォームでした。

ゴールは3時間24分30秒(12分47秒)。最後の2195メートルをこんなにかかったのは初めてでした。さきにゴールしていた友人たちに迎えられて、記録証を受け取った後、芝生に座りこんだまま立ち上がれずに30分ほどそのままでした。

キロ4分半で走り切るという目標は遠く、3時間15分も無理で、3時間20分も遠かった。

思えば初マラソンだった5年前の旭川マラソン(2005年)は3時間24分1秒でした。3か月半前の道マラの4時間32分がスタートだったと考えれば、ここまでよく戻ってきたという言い方もできるかもしれません。確かに3時間半を切ってちょっとホッとしている現実もあります。

レース前の体重管理がいかに大切か。それに、30キロペース走をせずにレースに臨んだことの愚かしさを、芝生の上に寝転びながら痛いほど感じていました。

別大までにしなければいけないことがはっきりしただけで、意義は大きかったのかもしれません。

                               ♪

日曜日は午前中に自宅、伏見桃山城、天ケ瀬ダム、白川、太陽が丘公園、城陽ゲート、宇治橋、自宅の28キロ。月曜日は帰宅後、自宅から黄檗駅まで2往復のナイトラン12キロでした。今月累計は156キロとなりました。

人気ブログランキングに参加しています。ぽちっとクリックお願いします。
banner_21.gif


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。