腰の位置がこんなに下がるものなのか…青島太平洋完走記【下】 [レース参加記]
30キロを過ぎると、間もなくサンマリンスタジアムが左手に近づき、国道220号ともお別れ。長い坂道を下っていくと、すぐに公園内の道に入りました。ところが突然、腰のあたりにずしんとした重みを感じて、それまで腰高を心がけていたフォームを保てなくなりました。
体重管理に失敗したのは、以前に記したとおりですが、金曜日のランの後に測った74.2キロが、この日のレースで何キロだったか、定かではありません。ベストに比べると、少なくともプラス5、6キロ。これでスタート地点に立つ方が間違いかも、と思うぐらいでした。
運動公園に入ると32キロ地点があり、この時点でキロ5分ほど。ここからはさらにペースが落ちて、後続のランナーに派手に抜かれていきます。青島へのトロピカルロードに入ると、キロ6分を維持するのが精いっぱいになりました。上半身がどすんと下に落ちているのがわかります。
骨盤を動かす力がすでになく、ももが前に伸びない状態でした。道マラの30キロ以降、秋田ウルトラの60キロ以降とほぼ同じ。35キロ通過は2時間41分56秒(27分10秒)。
ここで3時間20分は切ろうと目標を切り替えました。青島の折り返しを過ぎても幸い風はなかったけれど、前に進みませんでした。38キロで北海道のトライアスリートのまごちかちゃんに抜かれ、運動公園に戻ってきた40キロは3時間11分43秒(29分47秒)。キロ6分に限りなく近いです。
残念ながら最後上げる力もありませんでした。フォトサービスの「オールスポーツ」のサンプル写真を後日見ましたが、「ここまで腰位置が下がるのか」と思うほど見苦しいフォームでした。
ゴールは3時間24分30秒(12分47秒)。最後の2195メートルをこんなにかかったのは初めてでした。さきにゴールしていた友人たちに迎えられて、記録証を受け取った後、芝生に座りこんだまま立ち上がれずに30分ほどそのままでした。
キロ4分半で走り切るという目標は遠く、3時間15分も無理で、3時間20分も遠かった。
思えば初マラソンだった5年前の旭川マラソン(2005年)は3時間24分1秒でした。3か月半前の道マラの4時間32分がスタートだったと考えれば、ここまでよく戻ってきたという言い方もできるかもしれません。確かに3時間半を切ってちょっとホッとしている現実もあります。
レース前の体重管理がいかに大切か。それに、30キロペース走をせずにレースに臨んだことの愚かしさを、芝生の上に寝転びながら痛いほど感じていました。
別大までにしなければいけないことがはっきりしただけで、意義は大きかったのかもしれません。
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日曜日は午前中に自宅、伏見桃山城、天ケ瀬ダム、白川、太陽が丘公園、城陽ゲート、宇治橋、自宅の28キロ。月曜日は帰宅後、自宅から黄檗駅まで2往復のナイトラン12キロでした。今月累計は156キロとなりました。
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