泉州国際マラソン…自己ワーストでした [レース参加記]
日曜日の泉州国際マラソン。今シーズン最終戦として挑みました。気持ちが強すぎたのか、序盤からサブスリーペースで突っ込んでいって、ハーフから減速して、23キロからキロ6分ちょい。
マラソンの恐さを今更ながら体感しました。
タイムは事実上自己ワーストの3時間46分台でした。
僕が勝手に生涯のライバルと呼んでいる札幌「チームからふる」のとよは3年ぶりのサブスリー。2時間57分台。すばらしい。かなり水を開けられました。
ライバルと呼んでもらえる位置に上がっていけるのか、どうやらランナーとしての本当の正念場がめぐって来たようです。
練習の方法から、気持ちの持って行き方、体重の維持まで、すべてを見直す必要がありそうです。
多くの友人から応援いただきました。
やめなかったことだけが、それに応える方法でした。
ありがとうございました。
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別府大分はDNS、再起に賭けます [ランニング]
あす日曜日の別府大分毎日マラソン、先日のブログでも触れましたが、残念ながら管内である市長選の告示の取材のためにDNSです。今年度のシーズンの目標として位置付けてきました。それに2年前の泉州国際のタイムによる「カテゴリー2」(3時間以内)での出場の機会としては最後でした。
実は今後、サブスリーで走る自信がありません。もう一度、自分を追いこんで、嫌なスピード練習も、ペース走もこなすことができれば、あるいは土俵にもう一度上がることはできるかもしれないけれど、いまの仕事の環境では無理です。
だから、今回出たかった。いまの自分に力がないにしても、エリートレースのいい大会の雰囲気に酔ってみたかった。
近しい同年代の友人が先週、やはり長年出場してきた大阪国際女子マラソンの出場資格(公認レース3時間15分以内)の最終年でした。ランナーとして致命的な故障をしているのに、彼女は挑んで25キロ過ぎの関門に引っかかるまで、痛みに表情をゆがませながら、でも笑顔で走っていたのが印象的でした。
なんだか、美しいなと感動しました。
そんなチャレンジができる機会は、またいちから作るしかありません。スタートに戻ったな、と改めて感じています。
妻子と大阪国際女子マラソンの応援でした [レース応援記]
29日日曜日は楽しみにしていた大阪国際女子マラソンの応援でした。北海道と関西の友人たちの、年に一度の晴れ舞台です。妻となおらいと出かけ、15キロの森ノ宮、24キロの本町、33キロの鶴橋、ゴールの長居陸上競技場と「チームナイアガラ」のオレンジ色の旗を持って、移動しながらの応援でした。
古い友人たちとたくさん会えてよかった。もともと美女好きのなおらいも、段々マラソンの応援に慣れてきたようです。拍手したり、「キャー」と喜んだり。長時間連れ歩くマラソンですが、実はあまり手がかかりません。
参加されたみなさん、ハーフに参加したみなさん、お疲れ様でした。
長らくブログ更新をご無沙汰していました [ひとりごと]
なかなか自分の周りのこと、仕事や家庭のこと、(走ることも含めて)に自信も余裕も持てないうちに時間が過ぎていきました。「スランプ」という言葉で片付けるのは簡単だけど、どうもそれだけではない。
もしかしたら、男性の「更年期」ということかな。いずれにしても、仕事が大きく影響しているのは間違いがないようです。
今年の新年を迎えて、誓ったことは(1)読書や勉強を含めて、自己啓発を怠らない(2)仕事は気配りを大切にする(3)マラソンは朝の時間を大切にして、3時間ひとけた復活を目指す(4)育児、家族のためになるべく多くの時間をさく--ことです。
(写真は1歳7か月になったなおらいです)
で、いままで、どうかと問われればまあまあでしょう。走行距離は正月以降、23日現在で220キロ。練習の中身はともかく、そこそこ走れています。当面は月間320キロをどう維持するかが、課題になりそうです。
年初初戦の「別府大分毎日マラソン」は仕事のため、DNSが確実です。短いコースでは1月29日に地元の「久御山マラソン」(10キロ)、2月12日に「有田みかんマラソン」(10キロ)を入れていますが、いずれも出場は微妙です。
メーンレースは2月9日の泉州マラソンとなります。終盤の起伏が特徴のレースです。2年前は終盤の陸橋を難なく走って、2時間56分台の自己ベストを達成した記憶のいい大会だけに、できるだけ起伏走をこなしたいと思っています。
体重は72.8キロ。これが一番の課題かもしれません。
青島太平洋マラソン3時間16分でした
久しぶりの更新です。
11日日曜日の青島太平洋マラソンを走って、京都に戻りました。
2月の泉州以来、10カ月ぶりのフルマラソンでした。
15キロ辺りまでサブスリーペースランナーについていきましたが、そこから4分半に修正して、最後はキロ5分40秒まで撃沈しました。
朝の10キロジョグだけで、ペース走もスピード練習もしていないので当然の結果です。それでもいいチャレンジは出来たかな、と思っています。
年明けに別大、泉州と続きます。
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急激な温度上昇にかぶり水で立ち向かう…秋田内陸100キロ完走記【中】 [秋田ウルトラ]
37キロのエイドには名物のきのこ汁があり、ここではこれだけをいただいて先を急ぎます。ここからは大覚野峠の急坂にかかります。すでに標高300メートルほどまで上ってきているので、残りは260メートルの上りということですが、そう単純ではありません。
いったん上った後、いったん下り、さらに上って、また下る。峠は大きなヘアピンを左に大きく曲がると、やや進んで40キロ地点。4時間4分23秒(1時間4分16秒)。もう一つカーブを曲がると、峠のピークのスノーシェイドが見えてきます。この出口が峠の最高地点(560メートル)。ここからは北秋田市に入ります。
昨年はこの長い坂道でブレーキを感じ始めました。ここはフォームを大きくせず、すり足ですたすたと下っていきます。標高が少しずつ下がると、いつの間にか暑さを感じていました。かぶり水も使い始めました。
「道の駅あに」まで2キロの看板が見え、長い比立内トンネルを抜けて、橋を渡ると、荷物が受け取れるガソリンスタンド。昨年は素通りしましたが、今年は着替えのTシャツを置いていました。濡れタオルで汗をふいて、シャツを着替えて、やはり休まずに先を急ぎました。50キロは5時間6分23秒(1時間2分0秒)。
このあたりで前後が開いたこともあって、パンフレットで名前を調べて応援してくれる人も増えてきます。
ここからは数十メートルの坂を上っては下り、小さな集落を通過します。岩野目、笑内(おかしない)、萱草。笑内は秋田の難読地名で、エイドの手前には「なんと読むべか」と書いた看板も立っています。
長い萱草橋からは、平行して走る内陸線の萱草鉄橋がこんなに美しい。橋を渡り切って、阿仁トンネルの入り口からコースは集落を走る旧道を進みます。路肩を走るわずらわしさからは解放されますが、このアップダウンは国道より激しい。
国道に戻る直線の坂道は長く、途中に60キロ地点。6時間11分58秒(1時間5分35秒)。国道に戻ってすぐに再び旧道に入り、阿仁合の集落に入っていきます。鉱山で栄えたところで、街並みもかつての繁栄を物語っています。
名物エイドの「しそジュース」では、いつも通りに3杯ごちそうになり、集落の出口の長く急な坂道を登りきると、北緯40度のゲートがあります。こで65キロ地点。国道に戻って、ここから82キロの米内沢まではコースで最も暑く、変化が少ないだけに長く感じるところです。サロマでいえば73キロからワッカ入り口までというところでしょうか。
正午をすぎ、気温はいよいよ上がってきました。9度から20度近くまで、ほんの2時間ほどで上がったことになります。
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朝霧が立ち込める仙北平野を北へ…秋田内陸100キロ完走記【1】 [秋田ウルトラ]
月曜日夕方の岩手・花巻発の飛行機で京都まで戻ってきました。意外にダメージがあって、火曜日にランニングを始めるのはまだ無理なようでした。以前勤務した秋田支局の支局長のご厚意で完走記を秋田版にも書くことになりました。ありがたいことです。
大会事務局によると、100キロの完走率は近年では最も低い52%程度だったようです。
恒例によって、完走記を上中下の3回でつづりたいと思います。
♪
午前5時の角館のスタート時の気温は9度。Tシャツとショーツでは寒いので、暑く感じるまでは支給されたビニール袋をかぶっていくことにします。暑さを感じた時に脱げば、暑さによるダメージを最小限に抑えられると感じたからです。
まだ暗い武家屋敷通りを抜けて、国道105号に入るころ、明るくなってきました。この大会で最も好きなのは、序盤の仙北平野の光景です。マッチ箱のような内陸線の車両が朝日を受けて走り、刈り入れ直前の稲穂にかかっていた朝霧はやがて青い稜線の山々に吸い込まれるように消えていく。
5キロ過ぎの西明寺地区ではユニホーム姿の少年野球チームの選手たちが、ハイタッチで迎えてくれました。10キロ通過は59分20秒。前後にランナーはたくさんいて、縦に長い列を作ったまま、十二峠、草峠とピークを越えていきます。
40キロ過ぎの最高地点の大覚野峠まで、まずは4時間ちょぃで行くことがこのこコースでの目標になります。
この大会の素晴らしいところは、この早い段階のエイドでも豚汁や漬物、フルーツなどが充実しているところ。大会事務局から配給された食べ物にプラスして、その地域独自のメニューがあり、加えて温かいお茶やコーヒーがあります。
ありがたく、スタッフ一人ひとりにお礼をいいながら、20キロは1時間59分0秒(59分40秒)。山影に覆われている地形だから、気温は9度から上がりません。ここは距離を稼いでおかなくてはいけません。
2月の武者絵や美人画の紙風船上げで知られる上桧木内の手前が30キロ地点。3時間0分6秒(1時間1分6秒)。このあたりで標高は250メートルほど。スタートからは200メートルほど上ったことになります。(つづく)
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秋田内陸100キロ、10時間45分台でした [秋田ウルトラ]
きょう25日の秋田内陸100キロ、10時間45分台で完走しました。4回目です。暑かった。何度走っても厳しいコースです。
それから、これで100キロ完走10回になりました。うれしいな。
ビールが美味しくないということは、そこそこ使いきったということかな。
おばあちゃん、おじいちゃんの応援が素晴らしかった。ますますこの大会が好きになりました。
大会運営の皆さま、ボランティアの皆さま、素晴らしい運営をありがとうございました。
来年も必ずここに帰ってきます。
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